気になった文章抜粋
・アクアリウムの魅力は、この小さな世界が自活しているところにあるのである。魚に餌をやったり、ときどき手前側のガラスをきれいに拭いたりすることをのぞけば、生物学的には特に世話をしてやる必要はない。さらに、もしほんとうの平衡状態が保たれていれば、掃除してやる必要もない。
・(コクマルガラス)動物に同情した行為がこんなにもよく報いられた例を、私は他に経験したことがない。
・だが鳥ではまったくちがっている。…彼らの社会的衝動も彼らの性的な愛情も、彼らの極幼い、刷り込み可能な時期を共にすごした動物にむけられてしまうのである。したがって
大部分の場合、それは人間にむけられる。
・しかし多くの犬は、この点ではもっとすごい。…どんな人がいつ私をいらだたせるかを、まるで「読心術」によるようにして正確にわかってしまうのであった。
…そこで素朴に擬人化してものを考える人達は、得してこんなふうに信じ込む—動物はそのようにうちに秘められて口には出されない想いさえみぬくことができるのだから、愛する主人の語る言葉ならなおさら理解するに違いないと。だがこう考える人々は、どんなわずかな表現運動でも理解できるという社会性動物の能力は、まさに彼らがことばを理解できないからこそ、話すことが出来なからこそ発達したのだ、ということを忘れている。
・ホシムクドリ、ウソ、マヒワはすばらしい愛着を示す。大型のカラス類、オウム、ガン、ツルはこの点でイヌにも匹敵する。しかしどの鳥でも、よくなれた親しい家族の一員にしたてようとするのなら、極若いヒナのうちに巣からとりあえげなければならない。なぜマヒワだけが例外で、成長してからつかまえてきても人と社会的に接触できるのか、われわれにはまだわからない。
・私がほんとうに気持ちよく心なごむように思うことは、人間とイヌとのこの古い結びつきが、両者の自発意志にもとづいて何の強制もなく契約されたということだ。
・私が動物を笑うことはめったにない。たまたまつい笑ったときも、よく考えてみると、それは動物によってもののみごとに風刺された私自身や人間を笑っていたのだということに気づくのである。われわれは猿の檻の前で笑う。しかし毛虫やカタツムリをみて笑うことはない。元気のいいハイイロガンのオスの求愛のしぐさがひどくこっけいにみえるのも、人間の青年たちがそれとまるでそっくりにふるまうからにほかならない。
・さて、人間の行動にも似たようなことが見られないだろうか?ホメーロスのえがいた古代ギリシャの戦士たちは、降伏して情けを乞おうというときに、かぶとと盾を投げ捨ててひざまずき、首をたれた。明らかにこれは、相手が自分を殺しやすいようにする動作だが、じっさいにはかえって相手のその行為を困難にするものである。このような服従の態度の名残が、今日なお多くの礼儀作法の中に象徴されて残っている。おじぎ、脱帽、軍隊の儀式で武器を差し出すこと(例えば捧げつつ)。されど、ギリシャの戦士たちの情けを乞う動作は、それほど目覚ましい効果は発揮しなかったように見える。…ホメーロスの英雄たちは、少なくともこの点では、狼ほど優しい心の持ち主では無かったようだ。 …キリスト教的な騎士にしてはじめて、伝統的かつ宗教的なモラルによって狼に匹敵するほど騎士道的になったのだ。そして客観的にみれば、狼はその自然の衝動と抑制との奥底から騎士道的になっている。なんとおどろくべき逆説ではないか!
・ある社会的動物がもつその種特有の遺伝的な衝動・抑制の体系と武装の体系とは、自然からひとまとめにして与えられたものであって、慎重に選ばれた自律的な完全さを備えている。すべての動物を武装してきた進化的な過程は、同時にまたその衝動と抑制をも発達させてきた。なぜならば、ある動物の体の構造プランと、種に特有な行動様式の遂行プランとは、一つのものであるからだ。
・自分の体とは無関係に発達した武器を持つ動物が、たった一つ居る。したがってこの動物が生まれつき持っている種特有の行動様式はこの武器の使い方をまるで知らない。武器相応に強力な抑制は用意されていないのだ。この動物は人間である。彼の武器の威力はとどまることろなく増大していく。十年とたたぬうちに、その威力は何倍にもなる。だが生まれつきの衝動と抑制が生ずるには、ある器官が発達するのと同じだけの時間がいる。それは地質学者や天文学者が常用する膨大な桁の時間であって、歴史学者の時間ではない。我々の武器は自然から与えられたものではない。われわれがみずからの手で創り出したのだ。武器を作り出すことと、責任感、つまり人類をわれわれの創造物で滅亡させぬための抑制を創り出すこと、どちらがより容易なことだろうか?われわれはこの抑制も自らの手で創り出さねばならないのだ。なぜならわれわれの本能にはとうてい信頼しきれないからである。
・「たしかにそれは不可能かもしれません。われわれが歴史から学べるのは、われわれは歴史から学べないということです。」
感想
動物愛に溢れ、読んでいて心が優しくなるような本。しかしながら、動物に盲目的、無批判な愛情、動物至上主義というわけではない。人間と動物との関係を客観的に分析する学者としてのとても洗練された知性を、文章から感じ取れる。”刷り込み”の研究者で、近代動物行動学を確立した人物。その偉業を達成した背景には、動物愛からなされる学者的・学術的な辛抱強い動物とのふれあいがあったのがよく分かる。締めの文章がとても考えさせられる。
…自分の体とは無関係に発達した武器を持つ人間。その人間は発達した武器の抑制の方法が未だにわかっていない。
「われわれが歴史から学べるのは、われわれは歴史から学べないということです。」